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2009-04
流れ流れて、さていずこ?
- 2009-04-24 (金)
「流される」という言葉がある。あまりいい意味で使われることの少ないこの言葉。ちょっと僕なりに考えてみました。
流される、ということは、何かの流れがそこにあって、その流れに身を任せている(しまっている?)状態を言うのだと思います。でも、それは本当にネガティブなことでしょうか。箭内道彦さんの本に「サラリーマン合気道」という本があります。相手の力を利用して相手を倒す武術である合気道をビジネスの世界に置き換えた内容の本ですが、この本の中で箭内さんは「自分ひとりで思いつくことなんてあまりにも小さい。目の前の相手と向き合ってそこから生み出せばいい。そのことに気がついて、僕は少し楽になりました。流されるからこそ遠くに行けるのだと。」とおっしゃっています。「流されるからこそ遠くに行ける」という考え方は実に的を得ていると思うし、かなり本質に近いのではないかとも思うのです。
僕はデザインという大きな流れの中で、多くの人に出会い、多くの物事に出会い、そうしてここまでやってきました。そのことに心から感謝しているし、そのお陰で今があるのだと確信しているのですが、その中に、自分の意思で実現させた出会い、というのは実はとても少なくて、もともと出不精な僕ですから、誰かの紹介や向こうからやってきてくれない限り、新しい出会いなどはありません。そんな僕に、いろんな人がいろんな人を紹介してくれたし、ありがたいことに、いろんな人が向こうから会いにきてくれました。そして今がある。今の僕がいる。ならば僕は、ずっと「流されてきた」のだと思うのです。でも、ネガティブな感情は微塵もありません。デザインという大きな流れが、こんな僕でも遠くへ運んでくれた。無理に抵抗したり、自分の力だけで漕ぎ進もうとしていたら、とても体が持たなくて、心まで疲れきってしまっていたはずです。「流された」からこそ、これからも、僕一人の力では到底辿り着けないような場所でさえも、いつか運んでくれるような気がするのです。自分の心に正直に、過剰な自己表現は破り捨て、あるがままを受け入れて、日々感謝を忘れない。そして心地よく「流されて」いけば、やがて辿り着く場所がある。きっとそこは、いい場所に決まってる。そう思います。
ちなみに今日(4月24日)は僕の誕生日。明日(4月25日)は、昔大好きだった尾崎豊の命日です。
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好き嫌いとアレルギー
- 2009-04-19 (日)
好き嫌いとアレルギーは全然違う。好き嫌いは、嫌いと言いつつも、細かくされたら知らずに食べてたり、おいしくアレンジしてくれたら食べられたりもする。でも、アレルギーの場合は、食べたら死んでしまうこともある。おそろしい。では、これが仕事や生き方に関してならばどうだろうか。仕事をすぐに辞めてしまう人もいる。何か嫌なことがあったのか、芯からシュガー人間なのか、どっちにしろ、それが好き嫌いな理由ならば、誰かしらには責められる。自分でも、自己嫌悪になったりもするだろう。まるで気にしない奴もいるにはいるが、それはこの際、無視でいい。でももし、アレルギーな理由なのであったなら、すぐに辞めて正解だ。死なずにすんだのだから。
ところで難しいのは、その線引きと、自覚症状だ。本当はアレルギーな理由なのに、好き嫌いだと自分でも信じていて、周りからもそう言われて、必死でがんばってしまったら、やがては、もしかしたら、とことん追い詰められて、自殺したりすることもあるかも知れない。自殺するときでさえ、好き嫌いを言うダメな僕を許してください、と泣いているかもしれない。ちょっと待て、君は決してシュガー人間じゃない、アレルギーなんだから、辞めるのが正解なんだよ、と、そう言ってくれる人がいたら、きっと救われただろう。間違いなく好き嫌いな理由の奴は別として、好き嫌いな理由だと思い込んでいて、そんな自分の尻を必死で叩いてがんばろうとしているけど、本当はアレルギーな理由かも知れない人がいたら、僕はそれを見抜けるだろうか。その違いを示すサインは、いったいなんだろう?
いずれにせよ、死ぬくらいなら、辞めてしまえばいい。死ぬ気でがんばるのと、本当に死んでしまうことはまるで意味が違う。いくつになってもやり直すことはできる。選び間違えたのなら選び直せばいい。辛くて辛くて、本当に眠れない夜があるのなら、一度考えてみよう。好き嫌いなのか、アレルギーなのか。その違いは、大切な「命」に関わるんだから。
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Save our Polar Bear
- 2009-04-14 (火)
紙を作るために木を切る。木を切ると温暖化が進む。温暖化が進むと北極の氷が溶けてしまう。このサイクルを見事に表現したこの作品は、世界中のデザイナーがグリーンなガジェットを競い合う大会「Greener Gadget Design Competition 2009」でのもの。
コンピューターが普及すれば、ペーパーレスな時代がやってくる、なんて言ってた時代もありましたが、パソコンが売れれば、プリンターも売れて、ますます紙を使うようになってしまった昨今。本当に、真剣に、ちゃんと考えて、そして行動しないといけません。
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この不況から世界を救ったもの。
- 2009-04-07 (火)
100年に一度の不況が続いている。少しずつ上向いていくのだろうけど、それでも、あと1年半~2年位は続くらしい。好景気と不景気は順番にやってくるものだろうから、やがてまた、好景気な時がくる。その時に、今現在を振り返って、「あの〇〇のおかげで、あの不景気を乗り越えることが出来た」とか、「あの不況を打破したのは、〇〇だったな。」とか言う日が必ずやってくる。その、「〇〇」が何なのか、それがわかれば、そこから逆算して行動していけば、この不況は何でもない、のかも知れない。
いつの日か語られる、その「〇〇」とは、いったい何だろうか・・・。結局は、不況のキッカケも、そしてそこから世界を救うのも、アメリカ次第なんだろうか。それはそれで、ちょっと不安だな。
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必然な何かが、偶然を生む。
- 2009-04-07 (火)
全部の偶然には、必ず必然な何かがある、と思う。必然な何かが偶然を生む。例えば僕が、あるカフェをデザインしたとして、全部の壁を真っ黒にしたとする。その壁をよく見ると、もしくは触ってみると、実は木の壁だった、とする。遠くから見ると、美しい木目もよくわからない。もったいない。でも、そこには「実は木の壁だった」からこそ生まれる色や空気がある。それがすごく良かったりする。この場合の偶然に生まれた独特な空気は、本当に偶然に生まれた過去の経験をもとにした計算のうえでの演出だったとしても、その、本当に偶然に生まれた過去の経験を生み出した、必然な何かがきっとあるはずだ。
安全管理の基本に「1対29対300の法則(ハインリッヒの法則)」というものがある。1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その裏には、ケガはないがひやっとした300件の体験がある、というもの。一見すると、偶然に起きたように見える1件の出来事のうらには、実に300件の予兆があったわけで、言うなれば、必然が生んだ、1件の偶然、ということになる。
デザイナーという仕事には、これまでの必然な経験から、いかに新鮮な偶然を生み出せるか、ということを問われることがある。なんだかペテン師的な感じもしないでもないけど、計算しつくされた偶然によって、人をあっと言わせ、商品がヒットしていく、ということは確かにあるものだ。自分でも驚いてしまうような偶然に出会ったとき、または、見つけた(と思い込んでいる)というとき、自分は天才かも、とか、アイデアが降りてきた、とか、言ってしまうけれど、実は300ものヒントがすでにあったわけで、それに気づいている人こそが、次々とヒットを飛ばすヒットメーカーになれるのかも知れない。計算すれば全部まる、ではないだろうけど、「自分なりのスタイル」や「自分だけのスタイル」を見つけ出すためには、自分の身に起きている300のヒントに、少しでも気づける能力が必要なようにも思うのです。
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やさしい男になりたい。
- 2009-04-06 (月)
やさしい男になりたい。やさしい男でいたい。やさしさこそが、この世で最も強く、尊いもの。いつも笑顔でいれますように。みんなを笑顔にできますように。骨身にしみる、今日この頃。
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