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2010-02
自分サイズの「キラキラ」で。
- 2010-02-28 (日)

欲ならば僕にもある。それは否定しないし、悪いことだとも思わない。ただ、同じ欲でも、人によってそれぞれ異なるものだなと、当たり前のことだけど、つくづく思わされる出来事が最近続いた。そりゃそうだろうな。だって、若かりし頃の僕と現在の僕が求めている欲も、すでにずいぶんと趣が異なっているのだから。書き出せば足りないけれど、特に、成り上がった人達の、あの「ひけらかし」に対面するたび、それとは真逆を目指す今の自分が求める生き方が、やはり間違っていないのだと確信する。丁寧に生きていきたい。要するに、それに尽きるのだ。ただ残念ながら、今の僕がそうなれているわけではまだまだない。そうなりたいと願う、今の自分のこと。目指す未来、僕らの将来、自分の明日、僕がいつの日か、この世から消えてなくなるまでに、この目で見たい景色や、大切な人に見せたい景色には、ギラギラした嘘っぽい装飾は見当たらない。東京だからでもないだろうが、ここにはギラギラがいっぱい。それでも、そんな「ギラギラ」の中だからこそ見つけることができた、自分サイズの「キラキラ」がある。その光に向けて、僕は手を伸ばす。その光に向かって、僕らは歩みを進める。理想だろ?甘いだろ?大人だろ?そんな声にも動かない。今の僕はもう、僕の居場所を、見つけてしまったのだから。
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君に逢いたい。
- 2010-02-22 (月)

2月22日。君が見えなくなって、もう何年経つだろう。元気にしてますか?どうして見えないんだろうと不思議に思うけれど、見える見えないは、本当は関係ないのかもなあ。きっと君はいつも、大好きだった姉のそばにいるんだろう。それでも時々はきっと、僕の様子も見に来てくれている。だろ?
これからもずっとずっと、姉を見守ってね。時々は僕にも会いに来てね。きっとまた逢えるね。必ず逢える。その時を、ものすごくものすごく、楽しみにしています。君の存在に心から感謝。
ありがとう、タビ。大好きな、タビ。
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あなたのことを考えながら。
- 2010-02-18 (木)

機会があるごとに、デザインとアートは違うと話してきました。理由は様々ありますが、そのひとつに、アートは自分に、デザインは人に向けられている、と感じるからです。基本的にデザインは、それを依頼する誰かがいて、その依頼主のために、時間をかけ、頭をひねり、うんうんと考えて考えて。どうすれば依頼主の期待に応えられるか、いや、それ以上のものを目指そう、そうやって徹底的に相手を思いながらデザインします。なので、相手を思いやる気持ちが持てない人からは、決して良いデザインは生まれません。また、依頼主が居ない場合、つまりは自分発でプロダクトやサービスをデザインする場合でもそれは同じ。そのプロダクトを、そのサービスを使ってくれる「誰か」を思ってデザインしなければ、同様に、良いデザインは生まれてこない、と僕は思います。
使ってくれる人が笑顔になれるように、怪我をしたりしないように、疲れた心が癒されるように、そんな想いがいっぱい詰まったデザインは、きっと素敵なはずです。デザイナーの立場から見ても、使ってくれる人の笑顔を思い浮かべながらするデザインは、やっぱり楽しいものです。
そして、商品を購入する時はそれが何の商品だとしても、その商品を手にとって、デザイナーの想いも感じてみてください。その手触りも、その曲線も、まさに、あなたを想いながら一生懸命に考えた、その証なのですから。
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嫌われたいほど愛してる
- 2010-02-17 (水)

その昔、いっそ嫌われたほうがよっぽど楽だと思うほど好きになった子がいた。その子には彼氏もいて、その相談もよくされた。それが本当に苦しい。大好きだから、笑顔でいてほしいから、一生懸命に相談にのった。そして彼女は、ついにこう言った。
「丸川君が彼氏だったら良かったのに・・・。世の中上手くいかないね。」
これは爆弾だ!言葉の爆弾だ!彼女は言葉爆弾のテロリストだ!その言葉を言われた丸川少年が、心臓を真っ直ぐに打ち抜かれ、脆くも崩れ去っていったのは言うまでもない。
そんな出来事からもう20数年。え?20数年?・・・早い。そっちのほうが恐ろしい・・・。
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かもしれない。
- 2010-02-17 (水)
幸田文さんの本(動物のぞき)を読んでいてハッとした。どんな職業にしろ、その道を究めんとする人達はみな、何々だと思う、とか、何々かもしれない、という風に、何々だ、といった断定的な言い方をしない。自分に置き換えてみればよくわかる。僕ならデザインだ。デザインを突き詰めていけばいくほど、デザインというものがわからなくなる。さらには怖くもなったり。 デザインとは何々だ、などとは間違っても言えはしないのだ。責任逃れではない。本当に、断定などできないのだ。わかってない人ほど、わかったつもりの顔でいる。そんな人が世の中多い。いや、僕だってその一人かも知れない。デザインについては先述した通りだが、その他の分野に限っては心当たりもある。なんともお恥ずかしい限り、ほんとに。皆さんも気をつけましょうね。
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もちろんマックっすよね?
- 2010-02-17 (水)
デザインの作業において、現在の僕の主たる道具はパソコン。デザイナーの多くは、マックを使っている人が多いとは思うが、よくいるのは、デザイナーはすなわち自動的にマック派だと決め付けている人達だ。実際よく聞かれる。もちろんマックっすよね?的に。僕は両方とも使えるが、現在はウィンドウズのみで作業している。マックが壊れてしまったためもあるが、感想としては、何の問題もなし、だ。むしろ余計な制約もなく、メンテナンスやセキュア的なことは手間がかかるけど、基本的にはネットやメール、そしてアドビの製品が問題なく使えるれば問題はないわけで、ようは気持ちや気分の問題だけだろう。今後、新しいマックを買わないというわけではないけど、どっちかに縛られるのはだけは避けたい。どっちにも良い所と悪い所があるのだから使い分ければいいのだと思う。それに、マックのノートのあのでっかいリンゴのマーク。マック派の人にして見れば「クール!」なんだろうけど、僕にとってはクールどころか邪魔でしかない。なんか、マックだぜ!って主張しているようで嫌いです。でも、ウィンドウズにしたって、メーカーのでっかいロゴがみんな入っているから、どっちにしろ、あおういうのが嫌いなわけです。ソニーのバイオとかデルのノートのマークもバカみたいにデカイ。裏面に何にも書いてないノートパソコンが欲しいなあ。せめてThinkPadくらいがちょうどいいんじゃないのかな。でもやっぱり、何も書いてないのが理想。
道具はそれのみで優れているのではなく、使い込んでいくうちに、その使い手にとっての優れた道具になっていくものだと思う。手になじむ、という感じ。もちろんマック製品を、流行だけの品物だとは思わない。使い勝手にしろ、スペックにしろ、コンセプトにしろ、さすがはマックだと思わされる所は非常に多い。ウィンドウズはとにかく万人向けに作られたものだから、自分の手になじませるには、それなり(かなり、かな)の工夫が必要だ。それでも、すでにその工夫が済んでいる今の僕にとっては、とくにマックでなくてはならない事情はないのである。「もちろんマックっすよね?」って聞かれて、「いいや。」って答えると、相手はキョトンとして、何かまずいことを聞いてしまったみたいな顔をするが、結局、どっちだっていいんじゃないのか?
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Cupmen
- 2010-02-16 (火)
インスタントのカップめんにふたをするアイテム「Cupmen」が大人気だそうです。Cupmenをデザインしたのはデザイナーの馬渕晃氏。カップめんのふたを押さえるという、なんともシンプルだが的を得た優れた商品だと思う。熱に反応すると少しずつ白く変色していく。カップの縁に必死につかまる姿が愛らしい。しかも「癒やしアイテム」というカテゴリーで売られているそうで、確かに見ていると癒されるというか、微笑ましいというか。
それにしても、僕らはどれほど疲れきっているのだろうか。
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誰かのオフィス
- 2010-02-16 (火)

テレビや街ではよく、有名なデザイナーのオフィスを紹介したり実際に再現して、この空間で様々なデザインが生まれています的な展示などの催し(?)がありますが、そんなにみんな、人のオフィスに興味があるのかなあ。そもそもオフィスは作業場であって、アイデアが生まれる場所って別だったりするわけで、こういう催しに若いデザイナー達が群がっている様子を想像すると、ちょっと不安さえ覚えるのは僕だけでしょうか。実際、人のオフィス見て何を参考にするんだろう。机?コンピューター?棚?椅子なら僕も興味あるな。いい椅子がなかなかないから。
ところで僕の机まわり、うん、とても人様にお見せできるものではありません。人に見せれる机まわりの人って、そういう意味ではすごいな。
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脱東京ゼミ
- 2010-02-12 (金)
脱東京ゼミという名のワークショップ的な会がある。もともとワークショップというものに対して少なからず抵抗がある僕ではありますが、この会のコンセプトは「ローカルでクリエイティブに生きる=脱東京、ローカリズム」の実践を目指す、誰でも参加できるゼミ」だそうで、都会の暮らしに疲れてしまった、会社と家の往復ばかりでつまらない、今は東京でもいつかは田舎に帰りたい、といった、主にクリエイティブ層の人たちに選択肢として提案したい生き方、それが“脱東京”なのだそうだ。そもそも「脱東京」とはなんだろうか?いちお定義となっているのは、(1)地方に個性のある拠点を持つ。(2)地方と東京を横断して生活する。(3)「東京」に縛られずに生きる。の3点としている。ワークショップでは、クリエイターの脱東京を支援するため、地方で活躍する講師のトークや、ケーススタディーとして千葉県松戸市へ移転する方法を実践的に学ぶワークショップなどを開催していて、東京R不動産のディレクターさんなどがゲストとして参加している。脱東京と言っても、田舎に引きこもって暮らしたり、地方に拠点を移すと言うだけを意味しないところがポイントのようだ。「田舎で暮らすのももちろんよいのだが、それだけでは少々ハードルが高い。郊外の商業エリアとして使われていた地域を、住居や事務所をつくるなどといった、これまでと違う形式で活用することによって街を活気付けていく方法も実践を交えながら考えていくのがこのゼミの面白さだ。」とのこと。さらに「脱東京ゼミの一つのポイントは、クリエイティブ層にターゲットを置いていること。これは、人口比率で当然職業が限られてくる田舎では、自分の仕事をクリエイトしていかなければならないから。クリエイティブ層には、その可能性があるという考えだ。」という発想には感心したい。普通なら、クリエイティブな仕事は都会でないと成り立たない、というのが一般常識だ。田舎では、その需要がないというのが理由だが、そもそもクリエイティブっていうことの意義とは「無いなら作る」なわけで、田舎では出来ないと思っている段階でクリエイティブではないわけだ。クリエイターなら「場」を作れる、「事」を起せる、その可能性が十分にある、ということなのだろう。それには僕も大いに賛成したい。
僕も三重の田舎で育って、現在は東京でデザインの仕事をしているけれど、いずれはやっぱり田舎へ帰りたいと思っている。でも、丸ごと田舎生活ってつもりはないし、ましてや自給自足がしたいわけでもない。理想を言えば、東京と田舎の半分半分がちょうどいい。それを実現するための方法を日々模索しているわけだが、同じように感じている人が本当に多いのだなと改めて思った。まあ、とても普通のことなのだとも思うけど。そういう意味では、こういうテーマを取り扱ったものは少なかったと思うので、今後、どう発展していくのかを楽しみにしたい。ただし、まだ2回ほどしか開催されていない現段階では、田舎者の僕から言わせてもらうと、題材としての「千葉県松戸市」は、十分「東京まわり」だと思うので、僕が目指している場所(例えば限界集落のような)となると、話は少し違ってはくると思います。僕も僕なりの方法をきっと見つけてみせます!僕の田舎に興味のある方、一緒に「場」を作って「事」を起しませんか?でも覚悟してくださいね。本当の本物の限界集落ですから。
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